届いたマシュマロ
見える5,000円と、見えにくい継続
今回のマシュマロ主は、かなりの頻度で配信を見に行き、サブスクも続けている。一方、その配信には、普段はあまり来ないものの、来るたびに数千円分のBitsを投げる人がいる。
その人が現れると、配信者のテンションが明らかに上がる。お金をもらえば嬉しいのは分かる。それでも、自分より喜ばれているようで悔しいし、寂しい。そんな相談だった。
毎回来る。コメントする。サブスクを続ける。それでも、5,000円を投げた人が来ると、配信者のリアクションはひときわ大きくなる。配信者の頭上に「本日のリスナーランキング」が表示されたようにも見える。
そんな機能はTwitchにはない。人間の脳が勝手に実装している。
ただ、リアクションの大きさと、相手を大切にしている度合いは同じではない。 高額Bitsはその場で目立つ。継続視聴は長い時間をかけて積み重なる。同じ「ありがたい」でも、届き方が違う。
配信では、その二つに順位をつける必要があるのか、というところから考えた。
コメント欄では、どう受け止められたか
大きく喜ぶのは、常連への降格通知ではない
まず出たのは、数千円も支援してもらって、喜ばない方が失礼ではないかという意見だった。
ビッツ投げられてるのに喜ばないのも失礼ですからね
数千円のビッツでリアクション小さい配信者さんは嫌だなぁ
常に5,000円と同じテンションで相手してたら配信者さん死ぬど
毎回来た人に、毎回5,000円着弾時と同じ肺活量で叫んでいたら、感謝以前に声帯がもたない。別のリスナーは、飲み屋にたとえた。
たまに来てくれる人がシャンパン開けたらわーってやるでしょ
誰かがシャンパンを入れて店が沸いても、常連の来店履歴まで消えるわけではない。大きな支援に喜ぶことと、ほかの人を軽く扱うことは別だ。
来られないからこそ、Bitsで応援する人もいる
よくこれないからビッツ投げる人もいたりするし。人それぞれの応援の形なのです
よく来れないからこそまとめて払いたいみたいなことよくあります
時間がある人は頻繁に見に行ける。仕事や家庭の都合で見られない人は、来られた日にまとめて支援するかもしれない。毎月サブスクを続ける人も、ROMで何年も見ている人もいる。
応援には、その人の生活事情まで含まれている。 出席日数を数えても、その人にどれだけ時間があるかまでは分からない。配信は学校ではないし、首席を決める必要もない。
欲しいのは絶叫より、「見えているよ」かもしれない
マロ主さんに対して反応が薄いと感じてるのが問題の本質では
マシュマロ主は「自分にも絶叫してほしい」とは書いていない。書いているのは「悔しいし寂しい」だ。欲しいのは、自分がずっと来ていることも、ちゃんと見えているのかという確認なのかもしれない。
あのリスナーはありがとうって言ってもらえてうらやましいな、という気持ちは少し分かります
あの人が来ると嬉しそう。あの人のコメントはすぐ拾う。見比べているうちに、脳内に人事評価表ができあがる。困ったことに、この人事部はだいたい自分を低めに査定する。
「俺は常連だぞ」になったら、線を引く
そもそも常連だからって他リスナーより好意的に扱われたいって考えは配信向いてない
変に序列意識でやると良いことにはならないよ〜ってだけ
推し活するなら推しに見返り求めるのやめた方がいい
長く見てくれることも、コメントやサブスクもありがたい。でも、それを合算して「自分には、ほかのリスナーより大切にされる権利がある」となれば、話が変わる。
「いくら払ったと思っているんだ」も、「何時間ここにいたと思っているんだ」も、受け取る側には重い。通貨が円から視聴時間に変わっただけで、請求書は同じだ。
お金を債権にしない。視聴時間も債権にしない。
隣の人の支援を、自分との勝負にしない
それを妬まれたらしんどい
推しが儲かってる、やったぜ!の思考でいってほしい
常連から見れば「お金で目立っている人」でも、本人は「自分にはこれくらいしかできない」と思っているかもしれない。相手の事情を知らないまま、勝負に変える必要はない。
自分も張り合って投げて戦おうよ
戦だ
景気のいい解決策も出たが、採用すると推し活がオークション会場になる。配信者の売上は伸びても、それ以外はだいたい焼け野原だ。
いつもの支援ほど、感謝を言葉にする
配信者側にも、受け止めたい声があった。毎回Bitsを投げていたリスナーからは、こんな経験談が出た。
どんどんそれが当たり前みたいな態度になってきたから辞めたよ〜
提供側はわかりやすく伝えないといけないですね
感謝していることと、伝わっていることは別だ。心の中で100回唱えても、Twitchにはテレパシー欄がない。「今日も来てくれてありがとう」「ROMでも見てくれてるのありがたいよ」。毎回表彰式をしなくても、ときどき言葉にできる。
日々の感謝をちゃんと形にする日を作りましょう、敬老の日みたいな
国民の祝日にするところまでは、まだ議論していない。
目立つ成果の横で、毎日支えている人がいる
日々小さいタスクこなしてる事務員が契約1個取ってきた営業より軽んじられて、会社への忠誠心失ってく様子みたい
営業が大型契約を取れば大きく褒められる。でも、翌日から総務や経理が要らなくなるわけではない。問題は営業を褒めることではなく、普段支えている人に、自分の仕事は見えていないと感じさせることだ。
配信でも、高額Bitsは目立ち、継続視聴は目立ちにくい。目立つものだけを価値だと扱わない。それは配信者が考えることでもある。
感謝の音量と、人としての扱いは分ける
俺の結論は、「毎回来る人と5,000円投げる人、どちらが上か」という問いに順位をつけないことだ。二人は、同じ形で応援しているわけではない。
Bitsやサブスクは収益を支える。今日も来て、コメントして、次の配信にも顔を出してくれる人は、配信を続ける日々を支える。その二つを足して人間ランキングを作りたくない。
常連を、水道水や酸素にたとえたら
配信中、俺は常連のありがたさを、水道水や酸素にたとえた。毎日水が出ても拍手はしないし、呼吸のたびに頭も下げない。でも、なくなった瞬間に困る。
常連も少し似ている。毎回来てくれることが日常になると、驚きは薄くなる。驚かなくなったことと、価値がなくなったことは同じではない。
よし今日から毎日『お水ありがとう』って言おうね
今日も美味しい酸素ありがとうございます
リスナーたちは、必要以上に自然界への感謝を深め始めた。最後は「酸素がなくなったら感謝する前に死ぬ」という反論まで届いた。例え話にも賞味期限はある。
それでも、伝えたかったことは変わらない。いつもの支援に対するリアクションは、小さく見えやすい。だからこそ、配信者は感謝まで省略しない方がいい。
喜び方は違っても、人の扱いは変えない
5,000円を投げてもらったら、大きく喜んでいい。でも、その人のコメントだけを優先する、失礼なことも許す、無課金の人には冷たくする。そこまで行けば話が違う。
課金額によって感謝の音量は変わっていい。人としての扱いまで課金額に比例させてはいけない。
リスナー側にも、他人へのリアクションを自分の査定に使わないでほしい。何回見た、何か月サブスクした、と相手の5,000円に張り合い始めると、応援にリターンを求めたくなる。
「あれだけ見たのに」「あれだけ応援したのに」。この「のに」が増えたら、一度距離を置いて考えたい。悔しさからBitsを増やすのは、承認を買う競争になりやすい。
見てほしいのは、5,000円が投げられた数十秒より、普段その配信者が自分をどう扱っているかだ。そこまで見て、ずっと軽く扱われていると感じるなら、その配信との相性を考えていい。
まとめ
自分の積み重ねには値札が見えない。相手の5,000円には値札が見える。 その差が寂しさを生むことはある。でも、高額Bitsへの大きなリアクションは、常連への降格通知ではない。
配信者は、日常になった支援にも感謝を伝える。リスナーは、ほかの人の支援に張り合わない。応援を「配信者との距離を買う通貨」にしない。
隣の人の会計伝票より、自分がまだその配信を楽しく見られているか。俺は、そちらを見たい。